愛しくてたまらない日々

要介護1の母が、くも膜下出血発症! 突然の手術、看護、リハビリ、そして自分の生活の変化。介護の日々が、「愛しくてたまらない日々」になれたらいいな、、、と希望だけはもちつづけられるように。

カテゴリ: 家族の気持ち

2018年8月26日(日)



今日は母の隣のベッドがとても賑やかだ。
ご家族がお見舞いに来られているようだ。

4~5名の声がする。

転院が近いようで、今の病院を退院した後の話題で盛り上がっている。

「おかんをあの家で一人でおいておくわけにはいかんやろ?」
「おかん、一人でいると思ったら心配でたまらんやん」
「おかんも、一人やったらいろいろと不安やろ?」

「そやな、一人では心細いわ」

「おかんはここの他にP病院でも糖尿を診てもらっとるやん。あそこやったら、どっちの病院にも生かせてもらえるで」
 「そう思ったら、安心ちゃう?」

「そやな、どっちの病院にも行けるのは安心やわ。こっちにいたらあっちはダメとか言われたら困るもんな」

「そやろ? だからこれでいいねんって。あとは、おかんの障害手帳の件を今は話してるところやねん。手続き済ませるのに少し時間がかかるらしいわ。でも、大丈夫やから」

「何から何までありがとう。みんないろいろ考えてくれてありがとうな」

「おかんにとって一番何がいいか、考えてるんやで、みんな」

「うん、わかっているよ。ありがとう」

「おかんも、一人よりはそのほうがいいやろ?」

「そうやな、病院やったらなかなか・・・やけど、施設やったらお友達もたくさんできそうやな。お友達がたくさんできたほうがいいから、そのほうがよかったわ」

「そうやん、おかん、人と話するの好きやし、一人で家におっても話し相手もおらんし、これが一番いいやろ? 俺らかて安心やし」

「そうやね、それが一番やと思う。ありがとう。寂しいのは辛いもんな。施設やったら寂しくないと思うわ。ありがとう」


こんな会話が大声でお隣では交わされていた。

そして、この4~5名のご家族が帰られた後、私はお手洗いに行こうと母のベッドを離れた。
その時、隣のベッドの方(おかんと呼ばれていた)が
ベッドの端に座り、うなだれて小さくなっているのを目にしてしまった。

「本当は施設にはいきたくないけど、仕方がない」そう思っているのか、
「本当は息子たちの世話になりたいけど、そういうわけにもいかない」と思っているのか、
「本当は一人でこのまま暮らしたいけど、やっぱり不安だし・・・・」と考えているのか・・・


人の心の中なんてわからないけれど、息子たちが一斉に去ったあのベッドに残されたようにぽつんとうなだれて座っていた姿が、あの明るく振舞っていた話し声とのギャップがあまりにも大きくて、一層この方の寂しさを映し出しているように感じてしまった。



因みに、相変らず口を開けて私の存在すら無視するように、眠っていた母が「施設」という言葉に反応して、一瞬大きく目を開けた。
耳はやっぱり聞こえている! 
そして、母も「施設」じゃなくて「家」に帰りたいと思っているのだろうか・・・・
母の反応に、私は「奇跡を起こそうな!」と語りかけながら頭を撫でた。

2018年8月24日(金)


8月1日に母が倒れてから、私は心も体も休まるときがなかった。

どんどん良くなっているという実感がわくのならともかく、そのような実感は残念ながらない。
遅々として回復しない病状、そして症状にほとほと疲れていた。

何よりもしんどいのは、心が休まらないこと。
そして、何を考えるのが正しいのかわからないが、とにかくいつも頭がいっぱいであること。

「もう、今は頭がぱんぱんやねん!」
これはこの頃の私の口癖になっている。ほんまに「ぱんぱん」やねん。


そして今日の母も、昨日に引き続き、うっすらと目を開ける程度。
私と気づく気配もない。
きっと私が来ていることすら、分かっていないのではないだろうか?
氷枕は今や、母の必需品。

昼間は来られないからわからないが、母は日中、リハビリができているのだろうか?
このまま満足にリハビリもできず、ただただ寝たきりになるのだろうか・・・

頭が「ぱんぱん」の状態では、前向きな考えも浮かんでこない。
患者も大変だけど、患者の家族も大変だ。
当事者になって漸くわかることがあるが、今の状況や、感覚は当事者にならないとわからない。

最近の私の心は閉ざされている。。。

2018年8月21日(火)


相変わらず暑い日が続く。
私の病院通いも、3週間が過ぎた。
正直、疲れてきたのは否めない。
母にとって家族は私しかいない。
私も、母の病状に一喜一憂し、その感情を共有する家族はいない。

そのせいもあるのか、あまり感情的になることのない私が、職場で感情的になってしまった。
笑い飛ばすことはあれど、怒ることはあまりない私が、職場で大きな声を出し、相手を怒らせてしまった。

「私は間違っていない!」そういう気持ちばかりが先走ってしまった。
余裕がなくなっていたのだろう、その時はそうは思わなかったが、今は思う。

病室に入ると、母の口呼吸は相変わらずだが、口の開き方が少し小さくなっていた。
でも、手の指はむくんでいるし、氷枕を脇と膝の裏に挟んでいるのもいつもと同じだ。

体温の調節がうまくできなくなっているようだ。
また、私の不安が一つ増えた。
体温調整がこのままずっとできないままなのだろうか・・・と。

家族というのは勝手なもので、看護師などスタッフがほかで忙しくしているのはわかっているのだが、
病室を覗きにこないだけで、放置されているような気分になる。
そして、勝手に「母を放置しないで!」と悲しくなるのだ。

やっぱり、私は疲れがたまってきているようだ。怒ったり、悲しくなったり、ささいなことでも私の感情を揺らす。

母が以前みたいに元通りになることはないだろう。
それを受け入れたうえで、私は母の病状(症状と障害)をどこまで受け止められるだろうか・・・
そんなことが私の頭の中で、堂々巡りを繰り返していた。

2018年8月19日(日)


母のところに行くと、母は窓の方に身体を向けて眠っていた。
今日は熱が出ているらしく、氷枕を抱えている。
身体を触ると、確かに熱い。

大きく口をあけての口呼吸は相変わらず。
熱が出ていることにより、いつもよりも呼吸も苦しいのだろう。

私が「来たよ」と話しかけるも、薄目を開ける程度ですぐに寝てしまった。
そして再び、右手にむくみが見られた。

意識がすっきりと覚せいするということはないのか?
目を開ける時間は少しずつ伸びているものの、意識の覚醒がすすんでいるという感じはしなかった。

相変らず、意識障害が続いている、というのが今の状態だろう。


ほぼほぼ寝ているだけの母を残して、私は少しデイルーム(休憩室)に行った。
前にも書いたが、高台に病院はありとても景色が良い。

日曜日のためか、普段、お見舞いにこない家族も訪れていて大声で談笑している。


そんななか、ある父娘の会話が耳にとまった。転院の話をしているようだった。
70代とみられるお父さんが話す。
「せめて物がたべられたらいいのにな」
この方の奥さんが患者さんである。車いすにあまり表情もかえずに座っている。
母と同じで、話すこともできないようだ。そして鼻からのチューブ栄養であることも母と同じだ。

「鼻からの栄養では受け入れてくれるところも限られるみたいやわ」
「どうせなら近くの方がいいしな」
「いろいろ考えて早いうちにきめなあかん」

そう、前にも書いたがここは急性期病院なので2ヶ月で転院しなければならない。
実際には、1カ月以内の転院が望ましい。

この男性も、毎日奥さまのところに来られていた。
車いすに座った奥さんの横にいつも寄り添っていた。
どんな気持ちで毎日を過ごしているのだろう。

この夫婦にはこの夫婦の長い歴史があるはずだ。

この夫婦を見るたびに、この男性の胸中を慮る。
声をかけたい衝動にかられるが、かけなかった。
「話し相手がいるだけで随分違うだろうに、、、、」と思った。それも同じ境遇の。

娘さんと話している時のこの男性はいつも私が見ている男性とは違って
テンションが高く、心配をかけまいとしている姿が映し出されていた。ちょっと別人のようだった。

親は子に心配をかけまいと、迷惑をかけまいと、そのことを第一に考えているのだ。
本当は相談したいこともあるだろうに。。。
そう思うと、胸が熱くなった。

2018年8月15日(水)

母が倒れてから早くも2週間以上が経ってしまった。
くも膜下出血の術後管理で一番危険な時期とされる、2週間もすぎた。

母はNCUの中でも古株だ。

覚せいしない意識に対して、どうすることもできないのが歯がゆかった。

家でお昼ご飯の用意をしていると、電話が鳴った。病院からだ!
病院からの電話にはいつもドキドキさせられる。
「安定してきましたので、午後に部屋を移ることになりました」との連絡だった。

『危険な時期が過ぎたということね。安定して意識が覚せいしない、これ以上は変わらない、ということではないよね?』などと悪い考えが勝手に浮かんできて、私はすぐに打ち消した。

14時頃に移るという話だったが、15時過ぎに面会に行った時には、おなじみのNCUの部屋で車いすに座っている母がいた。
転室準備が少し遅れているらしかった。

母と共に、デイルーム(休憩室)で準備ができるのを待つことにする。
ここは高台にあるので、景色がとてもいい。
今日の母は調子が良いのか、目をしっかりと開けていた。


私は、母の手をとり、「がんばろうな、リハビリして、元気になって、みんなを驚かそうな。二人で奇跡を起こそうな」といつものセリフを耳元ではなく、母の目を見て話した。

分かっているのか、どうなのか、とにかく母は目をそらさなかった。
その目に感情はのっていない。そして、眼球が動くこともない。ただ私の方を見ていた。

私は続けて、「昨日お寺参り(祖母、祖父が納骨されている)をしてきたよ」と報告した。
母はまばたきをして口を動かした。
ぎこちない動きではあるが、その口は「ありがとう」と伝えていた。

私は目を潤ませながら、「わかった」と母の耳元でささやいた。
母に泣いているのを気付かれないように。

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