愛しくてたまらない日々

要介護1の母が、くも膜下出血発症! 突然の手術、看護、リハビリ、そして自分の生活の変化。介護の日々が、「愛しくてたまらない日々」になれたらいいな、、、と希望だけはもちつづけられるように。

2018年8月25日(土)


8月もあとわずか。本当に早い1か月だった。
そしてこれほど、いろいろな意味で濃密な1か月もなかなかないだろうと思う。

母の口呼吸は相変わらずで、口の開きが一時期よりもさらに大きくなっている。
この口の開き方を見るだけで、なんだか胸がしめつけられる。

お口をキュッと結んで寝ている患者と、大きく口を開けて寝ている患者では、後者のほうが「危ない」印象を受けるのは私だけだろうか・・・?
少なくとも、私はそういう印象をもっていた。

今日は目を開けることはあったが、私が呼びかけても私の方をみることは一度もなかった。

今日の母は手をとてもよく動かした。
胸を触り、肩を触り、お腹をさわり、また胸をさわる。
これをループのように何度も何度も繰り返している。

「何か気になるんですか?」と話しかけても、まったく聞こえていないかのように反応がない。

ボケ子さんの手は、動きを止めない。

その手は今度は顔へと向かう。
顎を触り、ほほを触り、鼻を触り、瞼を触る、そして額を。
母には経管チューブが入っているため、触らないようにと母の手に触れた。

すると、母は私の手を強く払いのけた。

そして、また胸を、お腹を、肩を、胸を、顎を、鼻を、頬を、目を、額を。。。
繰り返し繰り返し、触っていた。
まるで何かを確認するかのように。

私の声は今日は一切届いていない。声に対しては何の反応もない。
思えば、今週は火曜日以降、母とは言葉が通じていると感覚がまったくない。


以前は通じている感覚はあったのに。これは一時的なものなのだろうか?
それとも、これからもこの状態は覚悟しなければならないのだろうか?

多分、きっと、後者なのだろう。『覚悟しなければならないのだ』と自分に言い聞かせた。

2018年8月24日(金)


8月1日に母が倒れてから、私は心も体も休まるときがなかった。

どんどん良くなっているという実感がわくのならともかく、そのような実感は残念ながらない。
遅々として回復しない病状、そして症状にほとほと疲れていた。

何よりもしんどいのは、心が休まらないこと。
そして、何を考えるのが正しいのかわからないが、とにかくいつも頭がいっぱいであること。

「もう、今は頭がぱんぱんやねん!」
これはこの頃の私の口癖になっている。ほんまに「ぱんぱん」やねん。


そして今日の母も、昨日に引き続き、うっすらと目を開ける程度。
私と気づく気配もない。
きっと私が来ていることすら、分かっていないのではないだろうか?
氷枕は今や、母の必需品。

昼間は来られないからわからないが、母は日中、リハビリができているのだろうか?
このまま満足にリハビリもできず、ただただ寝たきりになるのだろうか・・・

頭が「ぱんぱん」の状態では、前向きな考えも浮かんでこない。
患者も大変だけど、患者の家族も大変だ。
当事者になって漸くわかることがあるが、今の状況や、感覚は当事者にならないとわからない。

最近の私の心は閉ざされている。。。

2018年8月23日(木)


台風20号が近づいている。
電車も18時以降は順次間引き運転になり22時には運休になるとのことだ。

『今日はさすがに、病院に行くのはやめよう!』

そう思ったが、木曜日はお風呂の日。
洗濯物も出ていることだし、やっぱり一目だけでも母の様子を見て帰ろう、と病院まで足を延ばした、

「ボケ子さん、来たよ!」と声をかけると、うっすらと目を開けた。
が、私だとわかった様子はない。

台風も近づいているので、私は母の顔を見ただけで、病室を後にした。

家に帰って、「くも膜下出血」「意識障害」と検索する。
このキーワードで検索するのは何度目だろうか・・・・


意識障害が長く続くほど、それが高齢であればあるほど、意識がもどる可能性は低くなると書いてあるものがあった。

そうだ、この記事は以前も読んだっけ。
でも、以前とは違って私に響いてくる。

76歳の母。3週間以上も意識障害が続いている。その上、毎日氷枕を抱えている状態。
母に抱く希望は、私の妄想でしかないのか・・・・

そう思うと、なかなか眠りにつくことができなかった。

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