愛しくてたまらない日々

要介護1の母が、くも膜下出血発症! 突然の手術、看護、リハビリ、そして自分の生活の変化。介護の日々が、「愛しくてたまらない日々」になれたらいいな、、、と希望だけはもちつづけられるように。

2018年9月4日(火)



台風21号が向かってくるという。
昨日の段階でJRはすでに計画運休を発表している。
私鉄も順次、状況をみて早めに運休の予定。
職場にはJRを使うスタッフもいるし、ほかのスタッフも帰宅困難になっては・・・ということで、事前に今日の仕事を休みにするということになった。

この日の天候を見れば、それは正しかったと思う。
とてつもない強風。うちは停電にはならなかったが、風で家が揺れた。
地震が来た!と思うほど家が揺れた!
近所のお家の屋根もパタパタいって飛んでいきそうだった。怖かった!


そんな台風がやってきた日の午前中、母が入院している病院の相談員と電話で話をした。
会って話をするのが一番いいのだろうが、相談員さんは土日がお休み。仕事も17時過ぎまでという。
これでは会って話をすることができない。

相談員のKさんが
「入院されてから1か月も過ぎ、急性期の時期も過ぎました。そろそろ転院先を決めなければなりません。ご家族のご希望はありますか?」と質問してきた。

私は、
「とにかくリハビリができるところを、と考えています。本人はリハビリにだけは熱心ですし」と伝えた。

すると
「このエリアでのリハビリ病院の数というのは圧倒的に少なくなっています。なかなか希望の病院に転院することができません。それにお母様は意識障害が出ていますよね。
 リハビリ病院というのは、日に3~4時間のリハビリをしなければいけません。意識障害が出ている状態でそのリハビリに耐えられるかどうか、疑問です」

「私どもが考える転院先としては、療養型病院が妥当かと・・」

『療養型病院? 母を寝たきりにさせる気か‼』 正直、私の心の中では怒りがこみあげてきていた。

「つい先日、リハビリを見たのですが、起立訓練に一生懸命取り組んでいました。リハビリを嫌がっているというのならともかく、それだけは嫌がらずに取り組むということからも、母からリハビリを取り上げないでほしい。彼女の希望がなくなってしまう」

「リハビリ病院でなければ老健さんというのも考えられますが、お母様は経管チューブ栄養ですよね。
チューブ栄養の方を老健さんは受け入れません。ですから、老健さんに移るという選択もないのが実情です」


「ご存じのとおり、今の母は何もできない状態です。一人で座ることもできなければ、寝返りを打つこともできない。何から何まで人の世話にならないといけない状態です。そのうえ、話すこともできない。痛いも痒いも自分からは言えないんです。体の向きを変えてほしいからとナースコールもできない。チューブ栄養だから普段は手にミトンをはめていますから」

「せめて、言語聴覚士の訓練だけも受けれるようにして、彼女が自分の意思表示ができるようにはしてもらいたい。言葉でできないならほかの方法でも。今、この段階で、療養型病院に移ることだけは家族としては受け入れられません。」

「まだ絶対に回復不可能と決まったわけでもないのに、母の治ろうとする権利を今取り上げるようなことはできません。そのことだけは受け入れられません」

「わかりました。このエリアだけではなく、少し離れたところでも構いませんか? そちらにあたってはみます。ですが、受け入れるかどうかは先方が決めることですので、それだけはわかってください」


私は、悔しさと感情の昂りで涙声になっていた。

つい3日前のことなのに。
母が起立訓練を2セット行って、私の目の前で車いすまで歩を進めたのは!

あんなに頑張っているのに、母からリハビリを取り上げて、「もうリハビリはしないよ。病院で楽にしていようね」と告げるのか。

「一緒に奇跡を起こそう!」と母の耳元でいつも話しかけていたのに、「奇跡はあきらめよう!無理だから」と母に告げろというのか!

たとえ告げなくても、リハビリもない病院で1日中ベッドの上にいたら、母だって気が付くだろう。

どうして、どうして、こういうことになるのか。
急性期の回復のスピードに乗れなかった人間は、リハビリをする場すらも与えられないのか。
その機会も貰えないのか?


私は悔しくて、悲しくて、涙があふれて止まらなかった。
台風の強風が吹き荒れる中、声をあげて泣いた。

2018年9月2日(日)



面会に行っても、滞在している時間はどんどん短くなってきている。
あまり変化がないというのもその理由だ。
昨日のように、驚かされるようなことが起これば別だが・・・

今日の母も普段私が知っている母の姿で寝ていた。
話しかけても何をしても寝ているばかり。

リハビリは午前中にあったようだ。
今日も起立訓練をして、疲れたのだろうか?

看護師が私に気づき、話しかけてきた。
「さっきまで、車いすに座っていたんですよ。窓を少し開けて風を感じたら、目をしっかりと開けていました」

『そうか、リハビリを午前中に終えて、午後からは車いすに座っていたのか』
『それでは確かに疲れただろう。私に反応しないのも無理はないか…』
『今日も早々に切り上げるかな?』

そんなことを考えながらふと顔を上げると、50代後半の男性が立っていた。
私はすぐにこの方が、母が倒れる前まで通っていた整骨院の院長だと理解した。
なぜなら、昨日電話があったからだ。
この整骨院は支店?をいくつか持ち、リハビリのデイサービスも展開している。
院長は忙しいため、最近は母を診ることもなくなっていた。
そのため、母が倒れたと聞いたのはつい最近のことだったらしい。

寝ている母の耳元で
「ボケちゃーん、ボケちゃーん!」と大きな声で呼びかける。
目を覚まさせようとしているのだろうが、そんな大きな声を出さずとも(それも耳元で)母には聞こえている。。。。

「ボケちゃん、だれが来たかわかるか? この声でわかるやろ? また一緒に出掛けようや。みんなで一緒にでかけよう」と話しかけながら、母の首の後ろ側から頭、肩を揉んだ。


「硬くなっているな」
と呟いた後、(私と母にとって)決定的な一言を院長は放った。

「ボケちゃん、これでは家に帰られへんな・・・」

『なんてことを。母には聞こえている。ちゃんと聞こえているのに』
『リハビリだって嫌がらずに頑張っているのに』だんだん私の心は悶々としてきた。

そして院長に向かって私は言った。

「そうですね、そう思いますよね。でも、母にはいつも話しかけているんですよ。奇跡を起こそうな、って」

院長は私の方を向いたが反応はなかった。「それは夢物語やで」と言いたいのを抑えるように。
そして私に向かって、
「家族の方が一番大変なんです。何よりも、ご自身の体を一番に考えてください。今は、それが一番大切なことです」と言った。
『夢物語を考えるよりも私の健康を考えよ,ということか』と私の心の声はつぶやいたが、

「ありがとうございます。本当にそう思います」と伝えて頭を下げた。

院長を見送り、母のベッドのそばに戻ると、寝息を立てていたはずの母が大きく息を吐いた。

「はぁ~~、あ」とため息をついた(ように私は感じた)

その反応に私は思わず笑ってしまい、
「失礼なことを言うね」「嵐が去ったから安心して眠って」「奇跡を起こして院長をびっくりさせような」と話しかけながら母の頭を撫でた。

母はまた寝息を立て始めた。

2018年9月1日(土)

早いもので母が倒れてから1か月が過ぎた。
手術が無事に終わった時には、もっと楽観的に考えていたため、今のような状況(生活)を想像してはいなかった。
私の(母の)生活は180度変わった。
そういえば、占いで、「今年はあなたの人生は180度変わるような出来事があります。今までの苦労がすべて報われるでしょう」なんていっていたっけ。

『確かに180度変わった! でも、苦労は報われたのだろうか? かえって背負ったのでは?』 などと考えながら病室に向かった。


昼間に行くのは久しぶり。母の様子はいつもと変わらない。ただ、氷枕だけは外していた。

少しするとリハビリ担当スタッフのSさんが来られた。若くてかわいらしい女性である。

そのsさんが「ボケ子さん、リハビリですよ。起きてください」と声をかけると、私の方をむいて「いやな声がきこえてきた、と思われているかもしれませんね」と笑った。

その言葉に反して、寝ていた母は目を開け、足を動かしていた。

「さ、車いすに乗ってリハビリ室に行きますよ」との声に、さらに足を動かして膝を立てる。
私はその姿に驚き、「どうやらリハビリしたいって、体が反応していますよ」とSさんに話しかける。

車いすに抱きかかえられて移動する際も、母は車いすのシートの位置を左手で確認していた。

『こんなこともできるんや』正直、寝てばかりいる母を見ていた私にとってはその姿は嬉しい誤算だった。

私も一緒にリハビリ室に向かう。その道中で、Sさんがこんなことを教えてくれた。

「木曜日(一昨日)から、起立訓練を取り入れているんです。ちょっときつめの刺激を与えて、意識の覚醒を図ろうと思って。10分間装具をつけて立ってもらっているんです」

「しんどいことだと思うんですが、ボケ子さんは絶対に嫌な顔を見せないんです」

「ほかの方なら嫌がるようなしんどいことでも」

「ボケ子さんが嫌な顔をしたのを一度もみたことがないんですよ。そこはすごいな、と思って」

『そうか、母はやっぱり元気になりたいんだ。彼女は諦めていないんだ。私と一緒に奇跡を起こそう!といった言葉を、彼女はその約束を守ろうとしているのだろうか? それとも、彼女の性格上、今のままでは嫌だという気持ちが強いのだろうか?』

なんだか私は嬉しくなって、母の頭を撫でた。親が子に〈いい子いい子〉するみたいに。


リハビリでは、両脚に装具を着用して、前後からスタッフが介助しながらの起立訓練を行っていた。
『ここ数日は、こうして10分間立っているのだ』と思うと、昨日までの、いや、さっきまでの後ろ向きの自分を反省せざるを得ない。


10分間の起立訓練を今日は2セット行った。
すごい、こんなにがんばっている、と少しウルウルしていると、介助に入っていたベテランスタッフさんが母に声をかける。

「ボケ子さん、ちょっと歩いてみましょうか?」
「やりたくなかったら右手を握る、やるなら左手を握る、どっちにしますか?」

母の左手が動いた!!!!

「左手が動きましたよ。いいんですね? じゃ歩きますよ。 車いすまで歩きましょう」

と言って4メートルぐらい先に車いすを移動した。
2,3歩と思っていた私はびっくりした。

「できますかね? ちょっと遠いですよ!」と声をかけた。
母の目は車いすを一瞬だけとらえた。

前後からスタッフに介助されながら、母は右足を前に出し、左足を前に出し、ということを体をゆらし、時にはひきずるようにしながら動かす。
(後ろからの介助スタッフに脚を押されるようにしていた、という状況)

そして、車いすのところまで到着した!

「すごい! よく頑張りましたね。今日は疲れましたね」とSさんが声をかけると
車いすに座って澄ましたように両手を膝の上で組んでいた母が
「うん」と頷いた。

私は、その母に向かって「すごい、こんなに頑張れるとは思わなかった。めっちゃうれしいよ」と話しかけると、母は聞こえなかったかのようにそっぽを向いた。

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